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中原道夫
第十五句集「九竅」


  1982年「沖」入会、84年同人。
現在「新潟日報」俳句欄選者。
日本文芸家協会会員。俳人協会名誉会員。
俳誌「銀化」主宰。「沖」に入会2年目にして
新人賞という華々しいデビューを飾った氏は
その後も八面六臂 の活躍で俳壇の寵児となる。
今や俳句を志す者にとって手の届かぬ星だ。
長老となっても作品の瑞々しさには変わりない。

暗がりにべつたら漬けをぬつと出す

豆餅の豆のいち抜けあとはなし

ヒヤシンス水性ペンにそんな色

野火放つまでの碧天なりしかな

寄る辺なきものら海月の名をもらふ

山を焼く足手まとひとならぬやう

蕗採りし跡一日で立ち上がる

年寄りがのるものでないハンモック

二股は上手に掛けよ干大根

月もまた駆け込み寺と知りてをり

零落の旗亭の松も手入れせる

飯蛸にぶつ切の足台風来

ジップロックに実山椒の刺激

天辺にまだ上のある曼珠沙華

秋口とふ日の差し込める所かな

色変へぬ松霹靂もいくたびか

花野の中には花道など要らぬ

(令和五年十月) 松永典子

塙誠一郎
第一句集「家系図」

  ⒛年年余の第一句集。登四郎物故後、研三氏が継ぐ
「沖」入会、2015年同人。 定年後の充実した作句生活
では祖父や父の影響を。 市川市在住。「沖」同人副会長。

家系図のはじめは分家蝌蚪の紐

他所事のやうな還暦冬銀河

冬あたたか男子厨に入りにけり

梅雨晴や身逆しまに風呂洗ふ

妻の名と同じ名の嫁冬すみれ

亡命の文人ありき笹子鳴く

燕来る新市庁舎の設計図

野に有れば民子の花となりし菊

余生でも晩年でもなし去年今年

晩成と言はれて成らずちやんちやんこ

いつよりと言へぬ晩年さるすべり

曝す書に朱線・疑問符・感嘆符

外交は武器無きいくいさ冬深し

その中に非正規労働蟻の列

着ぶくれてジェネリックでと答へけり

発心のいまこそ良けれ西行忌

(令和四年十月) 松永典子

塩見恵介
第三句集「隣の駅が見える駅」

 港南高校国語科教諭。同志社女子大学、
京都女子芸術大学講師。
「はじめての俳句」その他著書多数。
俳句甲子園等生徒俳人達を俳人として育て、
自身も二十代より、教え子達を引き連れて
船団等で活躍。 全国俳句甲子園優勝。

世を捨ても世に捨てられもせずさくら

子の頼みだいたい聞かず蜆汁

ポケットにいつの胃薬夏の月

目の前のことを大事に冷奴

星涼し魚食べるの上手な子

蜜豆も出されて猫の譲渡会

ヨット往く波に付箋を 貼るように

ああもっと休みがほしい島らっきょ

蝉の声減って二合の米を研ぐ

元カレを案山子に変えて六体目

花たばこ橋にそれぞれ名があって

文旦のゆさりと生ってるすの家

白鳥が来るまでホットウイスキー

プードルとして冬空に愛される

モルワイデ図法で剥かれたい蜜柑

粕汁の適度に貧し父祖の家

(令和四年五月十五日発行) 松永典子


中原道夫
第十四句集「橋」

 俳句を志すもので、この人を知ら
ない人はいないだろう。
「銀化」を主宰し、中央俳壇でも
八面六臂の活躍。 コピーライターの
一流の仕事を残し、
俳壇の寵児となる。天は二物を与えず
という言葉をいとも簡単に 裏切る。
「沖」で机を並べた筆者にとっても、
とても喜ばしい事でもあった。

自撮り棒破魔弓せめぎあふ騒

はんざきに冬の時間ののしかかる

縄弛む寒養生の一区画

湯婆蹴る力まだあつたではないか

みはるかすはるのかすみはくはねども

藤房のまはり九百五十ヘルツ虻

兄事する石塊のありひきがへる

剪定の憂き目に遇はぬまでのこと

かたつむり性の描写に立ち止まる

夜店にて聞く耳持たぬ子等の殖ゆ

散骨もいいかしろばなさるすべり

炎天はドームの骨をまだ舐る

魔が差すごとく白鳥の翳るなり

茄子の馬どこで追ひ抜いただらうか

蚊柱は手刀に切る情少し

もう一度お出ましのあれ露の世に

歪む世はほとほと見飽く金魚玉

(令和四年四月一日発行) 松永典子


大島雄作
第六句集「明日」

 「俳壇」誌に8回にわたり三十三句づつを発表。
それらを中心の三二〇句。平明さと滑稽味を意識。
「寝袋」「青垣」「鮎苗」「春風」「一滴」
現代俳句文庫「大島雄作句集」。
「青垣」代表。

雲を吐かせて鯉幟畳みけり

蟹走る川端に残るご飯粒

沖縄忌アメリカ鼠闊歩せり

読み終わるには惜しき本籐寝椅子

おほぜいの中に一人や遠泳す

銀漢や村の鍛冶屋でありし祖父

水族館出でて鯛焼き一つづつ

「芝浜」を聴いて一服春支度

荒星に近きロフトに寝ねんとす

絵踏して畑一枚を守りけり

貝殻の内のむらさき彼岸寒

散る桜一キロ飛んで鳥になる

鳥雲に入る船乗りがショパン弾き

石濡れて音の濡れたる添水かな

龍の玉二つレノンの丸眼鏡

笑わねばゑくぼ生まれず節料理

(令和四年四月二二日発行) 松永典子

甲斐いちびん
第二句集「ばさら」

 一九四一年台北生まれ。二〇〇七年「花句会」
二〇〇九年「船団」。二〇二〇年五月他界。
二〇一四年第一句集「忘憂目録」に続く
第二句集。遺句集となる。
温かい句仲間達の編集による遺句集である。
本名一敏。

涅槃西風はやくコロナを飛ばしてくれ

つまらんつまらんとつぶやく朧月

帰りなんいざまたも春の泥

三月の海ゆく箱のおびただし

梅雨の雷胎児聴き入る古都の鐘

戒名なんぞクソクラエとぞ灌仏会

ウクライナワイン悲しみの大雷雨

さかしまに踊る少年雲の峰

朝焼けや外反母趾の魔女の足

みんみんや難民難民と鳴き返す

柿食えばラ・カンパネラ古都に風

(令和四年一月一日発行) 松永典子

 
 

能村研三
第八句集「神鵜」

 昭和二四年千葉県生まれ。
昭和四六年「沖」入会、同人。平成十三年主宰。
平成四年「鷹の木」で第十六回俳人協会新人賞
随筆集「飛鷹集」にて日本詩歌句協会随筆大賞
平成二九年俳人協会理事長。読売、朝日、北國
各新聞、選者 伝統を未来につなげようと俳句
ルネサンスを説く。 父は能村登四郎。
以前、青年作家「舵の会」仲間。(東京四季出版)

だんまりに筋を通して独活膾

狂ひ飛ぶ蟬命終の間際まで

下戸されど送り火前の送り酒

聖五月翼下の灘は地図通り

くゆり立つ秋の蚊遣を折りて消す

木守柿汝は選抜か居残りか

年木積む風呂を貰ふといふ昔

レーザーの指し棒が解く涅槃図絵

夕青嶺湖底に透ける美母衣村

見番の跡地雨中の実紫

初午の日向に供ふ裸銭

太刀魚の春愁といふ立ち姿

渾身に咲く夾竹桃を怖れをり

炎帝の退位うながす雷ひとつ

実むらさき正座が常の父なりし

曉闇の冷えを纏ひて神鵜翔つ

(令和三年四月二十日発行) 松永典子

川嶋一美
第二句集「円卓」

 昭和二四年京都府生れ。
昭和五六年「沖」入会。同人を経て「青垣」。後退会。
平成一八年第二一回「俳壇賞」受賞。
平成二一年第一句集「空の素顔」。 同人誌「なんぢや」
素敵な俳句仲間との出会いで 幸せな俳句人生を送る。
栞の中原道夫氏とも筆者松永とも俳句仲間であった。
俳人協会会員、(本阿弥書店)

地虫出づ梅のはなびら押し上げて

鷹化して鳩となりけり巫女溜り

葉桜や本屋一軒あれば町

鶲鶫来るピクルスにつまやうじ

つきしろや満ち潮に浮く茄子や瓜

獣医の手つめたく釣瓶落しかな

星招き月を招きて岳神楽

木枯一号可杯の穴と底

煖房車一章ごとに人が死に

医者老いて患者老いたり石蕗の花

一陽来復すつぽんの鼻づらも

あたたかや幼き貝は竜頭ほど

円卓の対面とほし青葉雨

蒼然とお東さんの桐咲けり

ましら酒戸板返しのごとくに夜

寒雀夫の永い留守の窓

(令和三年四月二十日発行) 松永典子

山本直一
句集「ちんたらぽん」

 「大山崎俳句会」(加藤圭葩)、船団。
(船団は発展的解消となる。) 
寺田良治評。坪内稔典帯。 一九四一年名古屋市生。  
コーラスが趣味だという。
「鳥打帽」に続く第二句集((株)編集工房ノア)  

鯨のしっぽ海をたたいて初日の出

たらい舟底の板から水温む

春は名のみの旅人として娘宅

うぐいすよここはリストラ会議室

ふとん丸洗い春愁もおねがい

夕焼けて太古の海を丸木舟

洗濯機へ敵大将の赤帽も

火星接近山椒魚の眼が光る

青えんぴつだけのスケッチいぬふぐり

逆三角の孤独を連れてかまきりは

(令和二年五月三十一日発行) 松永典子

田辺英子
句集「ゆめのよいん」

 俳句教室での生徒さんの一人だったが、名前も住所も 
身分も明かさないで、 一冊の句集を送ってくれた。
主に新聞投句で鍛えたようだ。 装幀も自作の挿絵や
写真入りで、とてもセンスがある。美術関係者だろうか。

春近し自転車のベル橋渡る

けいちつや指のかたちのかりんとう

ドーナツや大きくひとつ春の雷

熱湯に放つマカロニ鳥雲に

夏めくやクレパスに水はじかせて

雨音とソラマメとジャズ日曜日

からからと笑ふ空なり梅雨明ける

香水の一滴ごとの南仏よ

片恋はかたこひのままあをりんご

髪濡れしままの横顔天の川

初電車かつて住みたる坂の町

五世紀の古墳にのぼる夏の草

桃剥きつ水の地球を思ひけり

椎の実の黒き光を拾ひけり

(令和三年三月六日) 松永典子

石井清吾
句集「水運ぶ船」

 昭和二十一年福岡県生まれ長崎育ち
平成二十三年探鳥句会入会後「青垣」 令和一年第三十四回「俳壇賞」
受賞。農学博士。企業を退職後、老人ホームで 俳句を嗜む叔母と
会う度に作句。この探鳥句会で本格的に始めて俳壇賞を ものにした
二人目の猛者。 俳人協会会員、現代俳句協会会員、(本阿弥書店)

子の描く魚に睫毛あたたかし

山降りて今年の髭を剃りにけり

海峡の夏へルアーを飛ばしけり

丸椅子に白衣脱ぎたる夜食かな

オルゴール盤の突起や冬銀河

去年今年大橋くぐる油槽船

箱ひとつ余つてをりぬ雛納

国生みのはじめは淡路若芽刈舟

校門に立つ先生も更衣

春日や仔牛は耳にタグつけて

縁側は爪切るところ石蕗の花

雪積まぬ右手よ平和祈念像

冬麗の富士を遺骨に見せやりぬ

水族館へ水運ぶ船夏初め

夏来る書道部員のスクワット

炉話やかんころもちを切り分けて

(令和二年十二月十日発行) 松永典子

波戸岡 旭
句集「鶴悷」

 昭和二十年広島県生まれ。「馬酔木」を経て「沖」入会。五十五年同人。
平成十一年「天頂」創刊主宰。第七句集。エッセイ、研究書「奈良・平安
朝漢詩文 と中國文學」他著書多数。元國學院大學教授・文學博士。俳人協
会評議員。
 第一句集 「父の島」刊行以来、三十年。これからの時空に我が身の
比重をかける事、自分を 揺さぶることが大事と心得ている。という。
大人の余裕がある。(株式会社ウエップ刊)

丹頂の己が息にてけぶりあふ

蓑蟲の蓑の暮しも可かりけり

凧の尾の機嫌斜めに上がりけり

雷育つ包丁の刄に觸れをれば

ぬかるめば妻の手を取る草の花

蔦紅葉天上へ戀するごとく

ふるさとの海を旅して年惜しむ

春の鴨記憶喪失とも見ゆる

扇置くこれより十指自由なる

小荷物をぽろぽろ零し進級す

磯の色動いて蟹のあらはるる

だぶだぶと己を削り雪解川

實のならぬ木々に甘えて烏瓜

ガラス戸にかまきり止まる柚子の里

夕映えの水響かせて蛙鳴く

丹頂の群れゐる原のうつつかな

(令和元年八月三十日発行) 松永典子

小西昭夫
句集「チンピラ」

 昭和二十九年愛媛県生まれ。「いたどり」「水煙」を経て「船団」。
 「子規新報」編集長、愛媛新聞特集俳句選者。愛媛新聞カルチャースクール
講師。「花綵列島」「ペリカンと駱駝」「小西昭夫句集」他著書多数。
 この句集は、俳句と詩の朗読用句集であるという。笑って笑って、 ほろりと
泣く。六十六才老境に入り、俳句で大切なことは、元気で、楽しく、 くだらない
ということであります。と豪語する。(マルコボ.コム刊)

中年の悲しみに似て亀が鳴く

蚯蚓鳴く日本もまた闇の中

娘より妻の水着の大胆な

どくだみが咲く東京のど真ん中

臆病なぼく大胆な秋の蠅

マラソンの歩く人にも抜かれけり

また蛇に足つけている文化の日

大くしゃみして強かに舌をかむ

掃除機は元気に仕事初めかな

今もまだチンピラのぼく花は葉に

早々と腹の減りたる七日粥

友情もまた渋柿のごときもの

(令和元年一月一日発行) 松永典子

大島雄作
句集「一滴」

 昭和二十七年香川県生れ。「狩」、「沖」同人を経て現在「青垣」代表。
 「寝袋」「青垣」「鮎苗」「春風」「現代俳句文庫 大島雄作句集」
 第五句集である。「沖」では新人賞、沖賞、第九回俳句研究賞受賞と
、華々しい活躍。一流の敏腕記者としての職責も果たし、愛妻と猫三匹
の充実した生活を送る一方、この探鳥句会への指導も助けていただき、
ほぼ二十年になる。その五年後に設立された「青垣」の代表となり、各
句会へ精力的に指導に飛び回っている。句作の方も手を抜くことなく、
驚異的な知識の量と安定した底力には定評があり、信頼がおける。
(青磁社刊)

蜩や団地まるごと老いてゆき

ケータイの灯をぽつと点け夜学生

腸の弱くなりたり冬青の実

釣銭に落葉の混じる蚤の市

可惜夜のまづのれそれを啜りあふ

真打の羽織落しの涼しさよ

帰省子にラブラドールの体当り

芋銭画の河童と月を待ちてをり

露けしや野猫といふも波斯の血

五郎助ほう柳田國男読みすすむ

子を産んで猫に杏のにほひあり

うぐひすや篳篥になる鵜殿葭

オルガンの音は木の息秋の澄む

酒の名の月の桂や温めむ

年取るは愉しきことぞ水蜜桃

隈取に子どもの泣いて村芝居

(令和元年十二月二十一日発行) 松永典子

千坂奇妙
句集「天真」

 昭和二十六年大阪府生れ。「船団の会」「とんぼり句会」「青垣」。
 俳句を志す前に、教職に就き、その後僧籍に入る。保田與重郎主宰の歌会
に参加。始めは口語・現代仮名遣いの句を発表していたのが、口語調も可と
するが、基本は歴史的仮名遣いでやっている「青垣」以来、文語・歴史的仮
名遣いにやや修正して、この第一句集とした。(星湖舎刊)

汚染土に冬眠の蛇絡み合ふ

九条葱よ下仁田葱につんとすな

虫こぶは虫のねんねこ風あやす

春菊に混じるはこべもいただきぬ

無味にして最も旨し山清水

ひと恋し人の字形に炭をつぐ

鶏も象も仏陀も裸足なり

風呂吹がよかろ閻魔に賄賂なら

凍死者のなほ伸びてゐる髭と爪

風花の花言葉なら惜別か

(令和元年十一月二十七日発行 ) 松永典子    

中原道夫
句集「彷徨」

 昭和二十六年新潟県生れ。「沖」同人を経て「銀化」主宰。
俳人協会名誉会員。日本文芸家協会会員。
 「蕩児」「顱頂」「銀化」他。第一三句集。
昭和六十二年からの海外詠だけを抽出。五十年で地球五周位に当たるそうだ。
 豪放にして 繊細な冒険譚として読むものを一緒に旅に誘ってくれる。
特に「一夜劇」からの句は、圧巻。十一月十五日パリ、テロ事件翌日の、   
現場に出っくわした時のド迫力の中継である。
ニ十周年に相応しい記念となった。 (ふらんす堂刊)

わざはひの餞ならむ霜の花

無差別の無は神のみぞ知る霜夜

祝杯の破片血染めの床凍つる

牡蠣殻の残る晩餐最中なり

昇天の手続きもなく自爆・冬

死とともに敵意砕ける冬の薔薇

殺戮に霜月も神不在なり

ふたたびの銃声寒夜貫通す

血は花と散る隠れ家アジトに暖取りし跡

主犯にも新年囲むはずの家族

にんげんは驢馬のお荷物日の盛り

花ミモザ砂塵を奮ひたたす黄か

(平成三十一年二月二十二日発行 ) 松永典子    

井原美鳥
句集「分度器」

 昭和二十四年北海道夕張市生れ。千葉市在住。
「握手」を経て「沖」同人。俳人協会会員。  千葉県俳句作家協会新人賞。
 普通第一句集では、実力者の目を通った六百句から七百句の中から自選して、
百句にするという現実に、 二十年分の句を見直して、
やっと句集を編む事の意味を理解したという。
 二年前から難病に罹られて不自由な身でも同人としての投句だけは
欠かさないという事が 嬉しいと能村研三氏は「序」で言う。
(株式会社文学の森刊)

緊急地震速報蔦の芽が真つ赤

モード誌のをとこの微笑三鬼の忌

行く秋の何せむとして手に輪ゴム

竹皮を脱ぐべうべうと雨の幕

大いなる分度器鳥の渡りかな

風邪熱のはじめ夜空を被るやうな

雪催ひ出窓に針のない時計

鷹鳩と化し割印を三つ押す

吊忍床屋に革の椅子ひとつ

一行のト書の余白雪が降る

(平成三十年十二月三日発行 ) 松永典子    

波戸岡 旭
句集「星朧抄」

 昭和二十年広島県生れ。「沖」同人を経て「天頂」主宰。
俳人協会会員。日本文芸家協会会員。
 「父の島」「天頂」「菊慈童」に次ぐ第四句集。
主宰誌「天頂」も二十周年という。順調に作家も育っているようだ。
 句会は温かみ、和みが大事であるが、
選句選評は自他に厳しくありたいという。   
いま詠んだもののその先を、見るべく、
その先を詠むべく切なるものがあるという。
(株式会社ウエップ)

花鳥賊の厚みに柾目透けてをり

洗ひ場に赤いサンダル秋しぐれ

全剝ぎに剝ぎて北山杉冷ゆる

筆先の沈みに淨む初硯

明日また着る喪服干す柿の花

鮎跳んで水につばさのあるごとし

水ごくごく飲むや案山子に負けてゐて

紙風船紅の迹ある銀の口

海底の飢餓の貌して鬼をこぜ

睡蓮の葉の切れこみや僧正忌

衿立てて妹背の山の閒を行く

たわたわと搖れて冬木の芽の太り

(平成二十一年十月三十一日発行 ) 松永典子    

池谷秀子
句集「ジュークボックスよりタンゴ」

 昭和二十四年長崎県生れ。神戸市在住。平成十二年「探鳥句会」より作句開始。
 平成十九年「青垣」。 俳壇賞受賞。
 この欄でメンバーの句集を取り上られる事は無上の喜びである。
御父上も俳句の嗜みがあり暫くここに投句頂いていた。
 熱心で、いくつもの句会を掛け持ちしながら、 出席率も断トツである。
やはり学習量、作句量と、俳句への情熱は早く上達する必須条件なのだ。
肉親を詠んだ作品に心打たれるものが多い。 俳人協会、現代俳句協会会員。
(本阿弥書店刊)

田の水の沸きて神々多産系

妹がいつか友だち赤のまま

とことはの父のうたた寝冬日向

父の忌の山茶花の白洗ひたて

黒南風やジュークボックスよりタンゴ

白息やどうとマンモス倒れたか

花韮や毎日母に朝が来て

ごつごつと当たるリュックの夏蜜柑

消えさうな母の匂ひの布団干す

もう一度母が華やぐ盆提灯

(平成三十年七月三十日発行) 松永典子

下川珊瑚
句集「ニホニウム」

 昭和十八年和歌山県生れ。箕面市在住。「梧」「沖」を経て「青垣」。
 上手い句を作られる方だと思っていたが、句集を拝見すると尚更の感。
初学からの二十年間の句を捨て去って、円熟の最近作での勝負である。
 「風姿花伝」風にいうと 魅力的だがふわふわした「時分(じぶん)の花」
を捨て 「真(まこと)の花」を残そういう大人の選択である。  
自分なりの材料を見つけて丁寧に仕上げ、 句会に価値を問う。
(句会で材料をさがすのではなく)
(喜怒哀楽書房)(非売品)

角切られ小さな貌になつてをり

伸びきりし輪ゴム勤労感謝の日

竹生島揺らして魞を挿してをり

冬空にクレー射撃の的微塵

生家てふ大虫籠の中で寝る

押鮨の木枠を洗ふ今朝の秋

冬帽の志村喬に泣かさるる

その先に原発見ゆる花菜道

若竹の喩へば羽生弓弦君

進級の子の教科書にニホニウム

(平成三十年七月二十日発行 ) 松永典子    

火箱ひろ
「火箱ひろ句集」

 昭和二四年岡山県生れ。京都市在住。「童子」を経て「船団」。「瓔」創刊。
 真面目も笑いも、どれも私。 俳号を変え、旧仮名から新仮名に変えた。
そんな揺らぎや決意も私。という。
新仮名に変えるにしても、混乱や 葛藤があったのではないか。試練を潜った分、
危なげがない。加えて大変な努力家だ。  しっかりした基本の上に試行錯誤を
厭わない事が、安定した句群となって結実した。
 初学時代に指導者の しっかりした結社で学ぶ事無しには、器を広げる機会は
そんなに無い。余程の天才でなければ。
(ふらんす堂刊) 句集「眠れぬ鹿」、句集「雲林院町」、句集「えんまさん」
俳人協会会員。

健康スリッパはいて空也の忌にはべる

ももいろのゴム手袋でお身拭ひ

懸想文売火の傍をはなれざる

猫皮に乳の穴あり夏越市

金魚にはきつと歪んでゐる私

お祭りの遠きざわめき沼明り

稲光プールの底のやうな部屋

ヴァイオリンになる木をねかせ星月夜

久多村の農協に着く秋の鯖

天高くみんなで道をまちがえる

(平成二五年十月三十一日発行 ) 松永典子    

ふけとしこ俳句とエッセー
「ヨットと横顔」

昭和二一年生。少女時代から草花と共に生きてきた人なのだ。
俳句もエッセーもきりっと咲く草花の感じ。
と、坪内稔典氏の帯文。エッセイも草花に関するものは絶品。
器用な人で何でもこなしてしまう。第九回俳壇賞受賞
句集「鎌の刃」「真鍮」「伝言」「インコに肩を」他。
(「船団」「椋」 創風社出版)

春風やまだ草笛になれぬ草

けものらに春くる夜は鼻の濡れ

太陽にフレアー鷽に桜の芽

黒豹に黒き豹紋下萌ゆる

新緑が囲む鼓膜の凹みくる

こめかみのずきんずきんと緋の牡丹

昼顔の花が遊んでゆけといふ

遠く見るものにヨットと横顔と

用あらば告げよ土用の草の絮

もしや父の匂ひだつたか草いきれ

(平成二九年二月五日発行 ) 松永典子    

中原道夫句集
「一夜劇」(ふらんす堂)

昭和二六年新潟県生れ。「百卉」に次ぐ第十二句集
 総合誌にも発表されていた、フランスのテロの翌日に 偶
偶出くわした事件をテーマに、終盤の三十三句は、息も
つかせぬ迫力である。
 俳人中原道夫と言えば、 博報堂の敏腕アートディレク
ターで名を馳せ、そのセンスはプロ中のプロとして夙に
有名であった。
 俳句も軽妙洒脱、 半端ではない努力と、持ち前の鋭敏
な感覚とで他の誰をも寄せ付けない道夫俳句を瞬く間に
築いていったのである。
 今回の「一夜劇」という題は「蠅帳の中より匂ふ一夜劇」
という昭和の一市井の嘱目句に因るものであったのだが、
天才というものは未来に起こる事をも予見できるのだ
ろうか。テロの翌日の現地の惨状が凡そ現実味のない絵
空事、 仕組まれた「劇中劇」の中にいるようだったという。
それこそが「一夜劇」であったのではと本人も驚いている。
(新潟日報俳句選者、文芸家協会会員、俳人協会名誉会員)

海市へと舟出す糊口ありにけり

ふくみ綿入れたるやうな蓮開く

霜夜かな生木の薪が泡を噴く

干し梅に付き切り介護にも似たる

死に逸れまた湯湯婆の世話になる

白魚の目のやり場なく集まれる

昇天の手続きもなく自爆・冬

死と共に敵意砕ける冬の薔薇

殺戮に霜月も神不在なる

ふたたびの銃声寒夜貫通す

マロニエは迷彩の膚葉を落とす

シメールの目の届かざり冬霞

(平成二八年十月二十五日発行 )松永典子     

広渡敬雄句集
「間取図」

昭和二六年福岡県生れ。「ライカ」に次ぐ第三句集。角川俳句賞受賞。
 「私の俳句は地球上には存在しない純粋の青い薔薇 を求めての永遠
の旅であろう」という。十年は開けて次の句集をとの心算だったようだ。
 嘗て結社誌「沖」の青年作家競泳 で机を並べた仲間でもあるが、俳句
の深さをしっかり理解し、思い上がりもなく努力を怠らない。真摯な
態度は揺るぎのない 安定感と説得力のある俳句をものにする。派手さ
と個性に欠けると思われがちだけれど目指す不易の句は一生賭けても
中々出来るものではない。寄り道、回り道をストイックに進みながら
会社員で登山家でもあったネアカな青年が老年となって行き つく所の
青い薔薇の咲く風景。彼には見えたのだろうか。作品として結実させ
ようと道の途中である事を堂々と宣言している のかもしれない。
そして目先の事にこだわって何もできない我々を励ましてくれている
のかもしれない。
(「沖」同人、「青垣」「塔の会」会員 角川文化振興財団)

けさ髪を切りし子もくる地蔵盆

冬の金魚目玉大きくなりにけり

煤逃げの犬嗅ぎ合うて別れけり

延命望まず高枝に鵙の声

啓蟄の母校を映す水たまり

踏み台の中に弁当袋掛

山霧の通り過ぎたる茅の輪かな

蛇ゆきし草ゆつくりと立ち上がり

おまへだつたのか狐の剃刀は

竹煮草余震なき日のおそろしき

鶴引くや文旦飴にオブラート

間取図に手書きの出窓夏の山

(平成二八年六月二十五日発行 )     

岡野泰輔句集
「なめらかな世界の肉」

昭和二〇年埼玉県生れ。
 「この世界を自他の区別があらかじめ失われた、
方向も、厚みも、重さもないものとして想像してみる、
まるで生まれたての自分が包まれたように。その世界を、
しかも世界の内部から言葉だけで触ってみるささやかな
営為の ひとつを俳句と呼ぶのならその関係の全体を「なめ
らかな世界の肉」と呼んでも差し支えないだろう」と
あとがきで述べる。
 アメリカ映画やベラスケスの絵等他ジャンルの芸術への
傾倒と蓄積が窺い知れる。
 俳歴はたかだか十数年程だが着実に 血肉になって
いるのはそんな蓄積があっての事。楽しい読み物でもある。
(「つぐみ」を経て現在「船団」ふらんす堂)

ふらここが還らぬ空のふかさかな

柳絮とぶ川曲るならそのやうに

まくなぎの名を知らぬまま生きてゐた

羊羹の詰まつたやうな暑さかな

洗硯や文字は煙のやうなもの

劇団の子の垢ぬけぬ水着かな

海霧うごき大きな硝子窓となる

金風や手に触れるものみな砂に

かまきりのかはいいことに皃小さし

葱焼いて一日風の鳴る日かな

名月やみなアメリカの夜めいて

冷房を止めてくれろとジルベルト

(平成二八年七月九日発行 )     

坪内稔転第十二句集
「ヤツとオレ」

昭和十九年愛媛県生れ。「水のかたまり」に次ぐ第十二句集。
桑原武夫学芸賞受賞。俳句は日本語のおもしろい断片である、
という。その自在さに憧れる若者達の教祖的存在である。
重病や退職等の境涯を乗り越えての作品群は、七十にして
衰えるどころか増々意欲的である。若者には自力でこの
形式を使いこなすように要求して、余計な指示はしない。
のびの び出来る人はいいが、それが却って若者を甘やかして
はいないだろうかと心配でもあるが。
(「青玄」を経て現在「船団」代表 角川文化振興財団)

頬叩き女子駅伝の朝稽古

噛み癖がファスナーにつき盆の家

観音の臍出しルック春の雪

軍艦とおでんとにある喫水線

あんパンは粒あん雪は牡丹雪

すぐ消える林檎の蜜も決心も

ほくほくの親子の情のさつまいも

尼さんが五人一本ずつバナナ

兄弟は二人の他人青蜜柑

青のりは磯の香七十歳は磯

従順を拒む一頭夏の馬場

阿修羅像見てきて蛸のやわらか煮

(平成二七年十一月十日発行 )     

今村恵子第一句集
「こんこんと」

昭和二十四年長崎生れ。「着古せるセーター解けば海滾々」
よりの表題。歌人だった母の輪禍による急逝で遺された
歳時記を携えて「沖」の初心者俳句講座へ。七年程結社で
基本を学び、活躍した後「梟」「青垣」へ。数年を経て、
第二四回(俳壇賞)受賞。跋で大島雄作氏は
取り合わせも上手いし、感覚はいいし。
吟行だってなんなくこなす。優等生といえば本人は嫌
がるだろうが、これといって欠点というものが見つからない
。と手放しで褒めている。
(「沖」を経て現在「梟」同人「青垣」所属 本阿弥書店)

わたくしは折れ曲れないチューリップ

桃の皮きれいに剥けてゆく不安

曇りのちときどき正気冬の蝿

頑張つてがんばつて裸木となる

猫二匹洗ひあげたる麦の秋

母の忌の近づく枇杷の実に産毛

釈迦と莫迦どこかしたしき種瓢

着古せるセーター解けば海滾々

胸像のひげに緑青夏つばめ

盆の雨息吐くやうに傘たたみ

(平成二四年五月三一日発行)     

松永典子第一・第二句集
「木の言葉から」「埠頭まで」

昭和二十二年山口県生れ。
「沖」「門」同人、「船団」を経て「青垣」「探鳥句会」編集代表。

別れ来て日傘の熱をおりたたむ

行く春のお好み焼きを二度たたく

家々が男吐き出す深雪晴

素潜りに似て青梅雨の森をゆく

三月の斧入れにゆく千早村

山に雪どかつとパスタ茹でてをり

冬の湖見にゆく釦つけてをり

ダイバーズスーツ白南風へゴボと脱ぐ

父の日の羽音のやうな雨降れり

翼たたむやうに畳みて白日傘

祭笛子の浮き足を掴み拭く

校庭の抜け穴ひばり野へつづく

(木の言葉から 平成十一年十二月三一日発行 富士見書房)

花にまだ間のある不燃物置場

蒲団干して地球の一部しか知らず

たたむときあたたか夕焼見しめがね

夜明けには星を取り込む蝌蚪の紐

つかみゐし蝶がだんだん恐くなる

のり弁のめくれを直す龍天に

花は葉に飛行機雲はうやむやに

棒の端に毛虫立腹してをりぬ

夕焼の燃えさしとしてアンテナは

どこへ浮かびても茜さす鳰

すり傷のサーフボードを立てて冬

土用東風反物浮かしながら巻く

星飛べる窓辺に吊るすフライパン

方舟のごとし古墳に小鳥きて

埠頭まで歩いて故郷十三夜

彼岸花きつとどこかに導火線

(埠頭まで 平成十七年九月三十日発行 富士見書房)