- 雪解川わきめもふらず流れけり
- 早春の川、それもかなり大きな、雪解の水が各支流から集まってくる所の急流であろうか。わきめもふらず一心に流れてきているのである。まるで目的があるように。
作者は「狩」の若手で、俳歴25年のベテランでもある。この人の評論には定評があり、鋭敏な言葉感覚としっかりした文体構築で、いつも安心してその論に耳を傾ける事ができる。雪解川ではこの場合切れていない。これは一章でできていて、最後のけりで切れている。だから説明ではないのだ。けりを付けるという事はこのことを言う。季語の説明をしたら、切れ字を入れるか、体言止で最後に切る事をしないと、ぶつぶつ切れたり締りがなくなったりする。「ほうたるの火の精にして水の精」と鷹羽狩行の祝句。
- ことありて帰るふるさと花辛夷
- これは二句一章。ふるさとで切れて、花辛夷が実に合理的、象徴的に使われている。やや付きすぎの感もあるが、しっとりとしたこのような句は、できそうでなかなか出来ないものなのだ。初心者はどんどん冒険するがいい。そして傷つこう。多作が悪いのではない。多発表が悪いのだ。捨てる事をしなければ、自縛の果てに、評価しない他人を恨んでしまう。先人達は心理学の分野にも対応しようと句会なるものを洗練された形で残したのだ。記名のあとでの評はどんなベテランでもエコヒイキが入ってしまう。句会で無記名のうちに、高点句だけがよいのではないと発言できるベテランが真の主宰者なのだ。(第二句集「水精」本阿弥書店)
- (H15年2月23日)松永 典子
鎌倉佐弓
- 三月の水をあつめに水走る
- 三月の水とは、ほかに雪代とか雪解け水とかの言葉も喚起する、早春の水の事であろう。
駘蕩とした春の川よりは、すこし早いまだ冷たさの残る川。雪解けによる春出水という言葉もある。
水が水をあつめに走っていると表現した。なんと清浄な激しさであろうか。積雪地帯では川や海が濁るほどだという。そういえば雪崩の季節でもある。地上では、春一番。春の嵐。ライオンのように始まって、一気に春。季節の変わり方が劇的だ。
- わが行方春泥に靴とられゐて
- 女教師で一女の母。夫は夏石番矢氏。
春泥に靴をとられるという具体的な所作と響きあって、行方という言葉が暗示するものに何か象徴的なものを感じる。精神的に苦しい何かで、進退窮まった状態であろうか。作風の転換期でもあったのか。
初学時代のきらきらした彼女の一部始終を見てきた者にとって、それは一遍の美しい私小説を読んでいるようだった。身辺詠しかり、感覚詠、学生時代からの磨かれた表現技術、素質ともに申し分なく、時に激しく、時に切なく、常にある種不思議な光を纏っていた。 父親を早く亡くした内面の起伏が影となり、彫りの深い作品に結実し、読む人の心を揺さぶった。正木ゆう子氏はその頃の山口百恵に雰囲気が似ていると表現した。
わが道の青きを踏むもあとわづか 白肌着おぼろの底に畳みをリ 二の腕に鱗のかけら桜鯛
と、その頃の彼女にしてはめづらしい作品群が続くが、一面では夫君と巡り合い言うなれば人生の
ベルエポックとしての羨ましい記念碑的な時期ではなかったろうか。(第二句集「水の十字架」)
- (H14年2月20日)松永 典子
川嶋一美
- 卵白も弥生の空も泡立ちぬ
- 弥生は陰暦3月の異称。空の泡立った感覚も、花曇やら白っぽい薔薇科の木花の盛りやら霾やらの、
なんとなくふわふわした晩春の気分をよく表していて卵白のあのもったり感にも通じるものがある。この
ように比喩の対象を並列に置いての配合は、ともすると強引になりがちであるが、この句は程よく響き
あって心地よい。うまさは見えない方がほんとうの技術なのだ。
- 蝶の恋空の窪んでゐるところ
- 梅本豹太「序」、大島雄作「跋」と、感覚の若若しい作者にふさわしい句集となった。実は彼女はとて
もスロースターターで、感覚はよかったのに今一つのところで踏みとどまっていた。初学を、しっかりした
基礎力も要求される「沖」で始めた事がネックだったが、今ではそれが良かったと謙虚にも彼女は振り返
る。十数年もの初学時代の句をすっぱりと捨てて勝負しているのだ。久し振りに彼女の纏まった句群を見
て感覚だけではない本物に出会ったようなすっきりした気分になった。力みが入る事で読む者を緊張させ
たり、軽いだけの散文調で言い過ぎにもならず、器用な上手過ぎの退屈もなく、適度な軽さに、持ち前の
感覚もしっかりと活きていてバランスがいい。これからが厳しいスタートラインだという。俳句を侮って
いた昔を恥ずかしいという彼女のために大いに喜びたい。
「ラガーシャツ干す肩の辺にまだ闘志」
「解体のビルの内臓つちふれり」 「茄子の紺糠に移りし大暑かな」 「汐風に頬のつつぱる厄日前」
「寄鍋のどつちつかずの席にをり」 「毛皮店森のしづけさとも違ふ」 「雪卸すいい青年になつてゐ
し」「ふかふかのセーターを着て脛齧り」「竹の根のいよいよ真青寒造」「卒業歌こずゑまで水昇りつめ」
「水嵩の常に戻りぬ石たたき」
(第1句集「空の素顔」平成21年1月本阿弥書店)
- (H21年2月9日)松永 典子
北川英子
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