俳句つれづれ

(探鳥句会) 松永典子編(H29年1月6日より)

ローバの休日
№123プリティウーマン
 先日、地上波TVでプリティウーマンの再映があった。懐かしい!
リチャード・ギアとジュリア・ロバーツの ロマンティックコメディー。アメリカ人の好きなシンデレラストーリーである。
 実は、娘夫婦が高校生の頃、文化祭の 英語劇で、この物語のヒロインとヒーローを演じた。中々の評判だったらしい。私は見ていないが、同級生達が後で教えて くれた。二人は別々の大学に進んだが、付き合いは続き、結局のところ結婚した。
 その後二人の可愛いい孫を私に プレゼントしてくれた。どっしりとした頼もしい母親となった彼女は小学5年生の長男と3年生の長女を育てつつ働くママとして 奮闘中である。コロナ騒ぎで、中々会えないのが淋しいが、今では私の生きがいの一つ。ピアノが好きな男の子と、バスケの選手 である女の子はどう育っていくのだろうか。2代目プリティウーマンの為平和で優しい世の中であって欲しいと祈るばかりである。 (R5年4月6日松永典子)  

  撮影 MS 
  


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№8  いとしのシルコサンド
 転勤族だったせいもあり、引越しする事17回。子供達もその度に転校させてきた。
 安城市に移り住んですぐに、小学生だった兄妹に同じニックネームが付いた。「シルコサンド」。何それ?と 聞いても笑って教えてくれないらしい。
 ある日、スーパーで、「しるこサンド」というビスケットを見つけた。
 これだぁ!小さな字で松永製菓とある。
 地方のCMで、頻繁に「まつながのしるこサンド」と出ていたが、 私達が居る間には偶々休んでいたようだ。その内にまた転勤になり、その後CMも復活したという。
 その子供達も それぞれ結婚して独立。
 長男は企業のIT技術者となり、炊事をしていた私のお尻に向って「あなたは世界一のおこりんぼ さんなので、表彰します。」と言って表彰状をくれた娘は2児の母となった。
(H29年4月14日松永典子)

№7  嘘つき
 言葉は嘘つきである。
 本当の事だけでは生きていけない。振られたのではない。自分から身を引いたのよと言って自分を納得させるのが言葉。 自分は悪くないと思いたいけれど、短気で物を知らないとんまな自分がいる。
 思った事を言葉にすると言っても、いざ言葉 にしたら、少しずれる。言葉を得て多くの物を獲得したけれど、より多くの物を捨てなければならなかった。
 人の弱さも身勝 手さも孤独も、本当の事って何だろうと思う。
 本当らしさのリアリティーを求める為に俳句をやっているのだろうか。ツ イッター中毒者の事は笑えない。心の目で見ようとしても、自分の心の景色がどうなっているのかは言葉に出してみなけれ ば分からない。言葉に引きずられる事さえある。作句を数十年やっていると、現実とは別に心にも日常にも四季があると感じる。事実と 照らし合わせたらそれは全くとは言わないが、嘘である。
(H29年4月3日松永典子)

№6  答
 リケ女(理科系女子)の走りである数学を専攻した友人に、なんで数学?と聞いた事がある。
「答が一つだから、楽でしょ。」と返ってきた。
 俳句は、答は一つではない。いかに分かりやすく人に伝えるか、何回も確認し、読み直し、自身の頭で考え、 審査し、言葉や文字を吟味しなければならない。そんなにしてやっと自選した句を句会に出し、いかに共感 を得るかとか自分の勘違いがないかを諮る。だから独学はとても難しい。一人でも考えられる数学とは対極 にあるのかも知れない。が、数学もハイレベルな次元では独創力が要るという。難解な道筋に偶々到達した 時には、こんな事を思いつく人を含んだ、造化の妙に感動するとも。
 詰まる所、世界とは何か、人とは何か、心とは何?この世や宇宙の真相はどうなっているのか、を探るという 点では一緒なのかも知れない。俳句は楽しみつつ、普段はほんのゲーム感覚でやっているに過ぎないのだけれど。
(H29年3月17日松永典子)

№5  諸行無常
 イヤホーンのコードを洗濯してしまった。
 誰かのポケットの中から出てきた物らしい。そそっかしいのは若い頃からの性癖だから断じて老化ではない!… と、断言もできなくなった。毎日何かを探しているし、三つの用があったら一つはだいたい忘れる。その分無駄な動 きをするので、運動にはなっているのかもしれない。
 そういえば同じ本を買ったり、人に貸している物は覚えているのに、自分が借りたものは忘れていたりもする。  それでも年を取るという事はそれ程悪い事ばかりでもない。「昔は吉瀬美智子に似ていたのよ」と見栄を張っ ても、最近知り合った人は、そうなのかと思う人もいるかもしれないし。都合の悪い事は、忘れる事も「そりゃ あ有るでしょうよ」と、許して貰えるような雰囲気もある。自分ではきっちりと確認しているつもりだけれど、 大丈夫か私、と言いたくなる事も。
 昔ほど自分の失敗を気に病まなくなったのは、世間は急には変わらない けれど、確実に変わるのだという事がわかっているから、ジタバタしてもはじまらないのだと思えるから。
年を取ったからね。
(H29年3月3日松永典子)

№4  恐い看護師さん
 「注射させて!」
 「いやじゃないの、しないといかんのよ。せな足がもっと痛くなるのよ。ほら他の人達は 黙って横になってはるやろ。触ったらダメなのよ。嫌じゃないの。」
 「ダメな事ないの掻くからダメなの。」
 「お名前言える?自分のよ、妹さんのじゃないの。足みてごらん、ほらパンパンになっているから。」 「座ってご らん、車椅子乗るか?」 「脈見るからじっとして!!」 「春野さんお名前はなに?花子さん、じゃ花子さん注射さ せてね。」
 「今注射しとるから押えないとダメなのよ」 「ほらちゃんとこうしてやっとこうね」 「お年は?今 お年はおいくつ?結婚はしてたん?」 「何かジュースのむ?」 「お家はどこ?自分のおうちよ」 「ほら、もうできた 。よかったね」 「触らないとだめって?触ったらまた何回も注射せなあかんようになるよ。お家はよ帰りたいやろ? 絆創膏貼っとこうね。」
 夫の癌の手術を待つ間に、病室から聞こえてきた看護師さんの大声。患者さんの声は聞こえなかったけれど、私が もし認知症の上に怪我等をしたら、この看護師さんに看てもらいたいと思った。それにしても大変なお仕事だ。
  (H29年2月19日松永典子)

№3  金星
 今、金星が一段と輝いて美しい。地球より内側に有るので、地球に一番接近し明るい時は望遠鏡で見ると、半月 から三日月形になっている。金星が満月形になると太陽と同じ動きになるので明るくて見えない。そして明けの明 星へと変わっていく。
 金星には、夕星、太白、明星、長庚、ヴィーナスと世界的にもいくつもの呼び名があり、夕星は「ゆふづつ」と して「枕草子」星の項の3番目にでてくる。星は筒とも呼ばれていて、特に宵の明星として、古代から愛でられていた。  「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星すこしをかし…」すばるは昴。統ぶるからきた和語である。プレ アデスという星団で、400光年離れていて肉眼でも見える。よばひ星とは彗星の事。「呼ばう、婚う」による。 所謂「夜這い」。「尾だになからましかば、まいて…」と続く。尻尾がなきゃもっといいのに…と。
 俳句をやってなかったら、10年以上も天文ファンではなかったかも知れない。藤原定家の「明月記」に出てくる 「いきなり明るい客星が現れた」との記述が牡牛座カニ星雲の超新星爆発の事ではないかと、つい最近指摘された。 それから世界中の文学や書物の星についての記述が調べられるようになったという。文系理系に拘わらず文書に日付 を書く事は次の世の為にとても大事だ。「きんぼし」と読むと双子座の一つ。それと相撲のあれ。
  (H29年2月3日松永典子)

№2  PPAP
「ペンパイナッポーアポーペン」と世界中が歌っている。ピコ太郎と名乗る日本人がネットで流行らせた歌だ。 何だか「オッぺケペッポーペッポッポー」に似ているではないか。
 明治の中頃、川上音二郎が幕間の余興として 歌い、風刺的な内容で大受けしたが、PPAPの方は風刺でさえない。調子の面白さと無意味さが受けたのか、そ れだとしたらいっそ無意味なオノマトペの、無意味な俳句はできないかと考えた。
 「ペンパイナッポー」ま でを上七、「アッポーペン」が中五、と無理矢理当てはめ、あと下五を季語にしてみようかな。「福笑い」としたら 真っ当な笑いになってしまい、逆に面白くない。「福は内」としたら季節が変わるというイメージで、何とか意味 的に踏み留まるかも。しかしめでたさが後退してしまった。「松の内」としたらどうだ?めでたさも松の内まで、 今に飽きられるよねという気分もあるし。「ペンパイナッポーアッポーペン松の内」どうだ。片仮名を句にするのを 異様に嫌がる評論家が眉を顰めそうだが、なに構う事はない。戦争中に英語禁止だと刷り込まれて只単に嫌いなだ けな人もいる。私も美しい和語を使いたい方なのだ。俳には元々遊び戯れの意があるし。うーん、しかしどう贔屓目 に見ても、遊び過ぎだなぁ。
(H29年1月22日松永典子)

№1  ローバの休日
 ローバの休日?  老婆の休日と漢字表記にしたらあまりにもあまりではないか。だいたい日本語には表記や言葉の置き換え等 による手触りの様なものがある。その為に言葉を選ばなければ、激おこプンプン丸(あっ、古いか、ちょっと前に はやった所謂女子高生言葉で、怒るの最上級)になる人が続出だろう。老女ならまだしも、老婆なんて絶対に認め ないぞと自分では思っていても、膝が痛い、名前が出ない、何もない所で躓く、その他いろんな事象がどっと押 し寄せている。最初の団塊世代は、今年それぞれの誕生日にこっそりと古希を迎える。
 古希。杜甫、曲江詩「人生七十古来稀」よりきているらしい。古来まれだと?やっぱりこの時代のこの日本に 生まれて良かったのだろう。まだ、この世の事を知りたいから元気で暮らしたい。9月まではアラウンド還暦だも の、まだまだ洟垂れと思いたい。
 90代であんなに大声が出せる作家の佐藤愛子さんがいらっしゃるではないか。「ローマの休日」をもじった 「ローラの休日」というタイトルで料理コーナーを担当しているローラちゃんよろしく「ローバの休日」とでも 名付けて、ひとつ大風呂敷を広げてみようかと思った次第である。
(H29年1月6日松永典子)